ピート・モンドリアン 1872-1944 虚空の楼閣 2020年10月17日

モンドリアンはアムステルダムでの生活を切り上げ、パリに向かった。彼が同時代最大の画家と認める男、パブロ・ピカソに学びたいと思ったのであった。(中略)死去の直前のインタビューでもモンドリアンは、父親が所属教会のために自ら宗教的なリトグラフを制作し、早くから絵を描くことを教えてくれたと語っている。1892年にピートがアムステルダムの美術学校へ入学すると、父はプロテスタントの有力な金持ちの友人たちに、下宿の世話を頼んだ。また息子の学費が自分では工面できず、どうやらその友人たちを説得して支払ってもらったらしい。(中略)アムステルダムに着くとすぐモンドリアンは、急進的なプロテスタントの信者団体ヘレフォルメールデ・ケルク(Ge-reformeerde Kerk, 改革派教会=カルヴィン派)に参加した。これは1900年以前は保守的な政党ーいわゆる反革命党ーと密接な協力関係にあった団体で今日なお存在している。(中略)後に現代絵画の刷新者となった彼(※モンドリアン)が、当時は新しい芸術を攻撃する教会の意向に添っていたのである。

急進的なプロテスタントの信者団体ヘレフォルメールデ・ケルク(Ge-reformeerde Kerk, 改革派教会=カルヴィン派)については下のブログで解説します。